みなさんこんにちは。
観術と音楽をこよなく愛し
美学を実践しようと邁進するさわゆうです。
最近セルフマネッジメントに難があるなと
反省し、朝カツをされている皆さんの手を借りながら早起き習慣を強制(矯正)的に取り入れています。自分の時間をつくるということは自らの意思で建設的にしないといけませんね。(笑)
今日は、品川でやっている朝カツに参加した後、そのまま品川Tジョイナスで映画を観てきました。
本当は仕事と絡めて、
『Ready Player 1』
を観ようと思っていたのですが、
明日までのロードショーということもあって
あまりやっていなく…調べが甘かった。
映画との出会いもやはりタイミングがあるの
ですね。以前、私の家に来た仲間が置いていった一冊の本が映画化されたということで、
『羊と鋼の森』
を観てきました。
高校生の男の子が学校に訪れた調律師に魅了され、調律師を目指し、現場で葛藤しながらピアノを愛するお一人お一人と向き合い、ご自身の成長を果たされるといった内容のものですが、感無量といいますか、私は私の背景を伴って中盤から号泣でした。
というわけでなぜ号泣だったか、
これは大いなる私の主観です。
【自分の感覚を信じて諦めず突き進む】
何より主人公が自らの感覚に素直に突き進む姿は美しかったです。
才能があるから、とか家族に音楽をやる人がいるからといった理由ではなく、
自分の中にある響きに従う姿勢、
自分の声に実直生き方を選択する姿勢
が響きました。
情報が蔓延していて生き方の選択が難しいご時世の中で、
夢を抱くことに勇気をいただける設定になっていました。
【調律師は見えない響きの場をつくる】
調律師のお仕事はピアニストや
聴衆のみなさんにピアノの響をお届けする、
もはや響きのお医者さんのようなお仕事だなと思います。
舞台の上でも下でもなく、
背景を歌う。
それが調律師のお仕事だなと、
その意義深さを感じました。
お読みいただいてありがとうございました。