春の小川 作詞:高野辰之 作詞:岡野貞一
春の小川は さらさら行くよ
岸のすみれや れんげの花に
すがたやさしく 色うつくしく
咲けよ 咲けよと ささやきながら
春の小川は さらさら行くよ
えびやめだかや 小鮒のむれに
今日も一日 ひなたでおよぎ
遊べ 遊べと ささやきながら
「春の小川」(はるのおがわ)は、1912年に発表された文部省唱歌。
初めて掲載されたのは『尋常小学唱歌 第四学年用』。歌詞の改変は2回。国民学校や小学校で現代まで100年以上にわたって教えられ続け、世代を越えて歌い継がれています。二部形式で書かれた楽曲です。
優しく、小川のせせらぎが花や魚たちに語りかけるようで心が癒されます。
SAWAYUの“SAWA”は“沢”。
沢は川よりも細く、
人の手が加わっていないところが多いようです。
ありのまま
自然のそのままの姿を表していると
感じてみるときに
この詩の中の小川の水のように、
自然に語りかけ、
自然を育むことができる“私”でありたいと思ってこの詩を選びました。
この詩の中の小川はどこかということで、
作詞家の高野辰之さんの生まれ故郷である長野県か、この詩ができた当時、作者がお住まいになられていた今の代々木5丁目あたりか
という説があるようです。
ご本人のみぞ知るところであると思いますが、どちらも含まれているかなと思ったりします。
ところでこの詩は2回ほど歌詞が改変されています。
一番はじめはこちらでした。
一、
春の小川はさらさら流る。
岸のすみれやれんげの花に、
匂いめでたく、色うつくしく
咲けよ咲けよと、ささやく如く。
二、
春の小川はさらさら流る。
蝦やめだかや小鮒の群に、
今日も一日ひなたに出でて
遊べ遊べと、ささやく如く。
三、
春の小川はさらさら流る。
歌の上手よ、いとしき子ども、
声をそろえて小川の歌を
歌え歌えと、ささやく如く。
そして、1942年。文語体から口語体に改変されました。当時は小学校5年生から文語体を使うということで、3年生の教科書に載せるには口語体にするのがいいという判断だったようです。少し、柔らかくなりました。
一、
春の小川は、さらさら行くよ。
岸のすみれや、れんげの花に、
すがたやさしく、色うつくしく
咲いているねと、ささやきながら。
二、
春の小川は、さらさら行くよ。
えびやめだかや、小鮒の群れに、
今日も一日ひなたでおよぎ、
遊べ遊べと、ささやきながら
そして、1947年。冒頭にあげた詩になります。“咲けよ 咲けよ” “遊べ 遊べ”と韻が踏まれていますね。ところでお気づきでしょうか。初期にありました3番目の詩が、1942年に削除されています。なぜなのでしょう。唱歌の基本があるのでしょうか。また調べてみます。
一、
春の小川は、さらさら行くよ。
岸のすみれや、れんげの花に、
すがたやさしく、色うつくしく
咲けよ咲けよと、ささやきながら。
二、
春の小川は、さらさら行くよ。
えびやめだかや、小鮒の群れに、
今日も一日ひなたでおよぎ、
遊べ遊べと、ささやきながら。
私も一つ、歌づくりについては大きなミッションを抱えています。
出会ったお一人お一人の意志を
ひとつの詩に描いて
音に紡ぎあげ
歌うこと
奏でること
何というか 人を神と捉えるのなら
神と神との出逢いを約束する場を
音楽の中に投じたいのです。
そんな理想を我が師に伝えましたら
「夢見る力と決意の仕方はいつも超一流ですね。
あとは実力&感性が伴えば名実共に無手勝流達人です。」
と。
まったくもって仰る通りです。
2018年は、音について、基本の中の基本を
抑えることにのみ終始しそうです。
真理真実に生きるスタイルを安定させる中で、音楽の道も少しずつ少しずつ
筍が竹に成長するように
ひとつひとつの節を大事に
学んでいきたいと思います。
まずは心をすっきり
わくわく
心のアーティストになりましょう。
今日も読んでいただいて
ありがとうございます。
心から感謝申し上げます。
参考ブログ
『世界の民謡・童謡 』
http://www.worldfolksong.com/sp/songbook/japan/ogawa.htm