自分の選択は親の選択してきたことの延長線上に確かにある 母親編 小学校時代

親の敷いたレールには乗らないと思っていても


箱を開けてみたら見事に乗っているなと思うことは多々ありますね。


たとえば私は親がピアノを教えていたからピアノを弾くことを始めたわけで


歌もそう。


母が伴奏をしてそれに合わせて歌うことが習慣になっていたから歌も習うようになりました。


お付き合いをする友達もやはり母の影響。母と一緒にくっついて歩いて回る中でできる関係性がイコール友人になる。


母の行動範囲が私の友達の基本単位のような。母のまわりはお人形づくりとかお料理とか洋裁とか、そんな風に「創る」がとっても多かったので、私もそういうのを当たり前に好むようになりました。母が発病したのが7歳のときですが、基本的な「私」は、母の海の中でできていたと思います。

 

小学1年生になって、母が精神疾患を患うようになって、私は私の中で「病気」とは何かとか、「人」とは何か「心」とは何か、もう少し本質的に「神」とは何かとか、無意識的にも意識的にも模索するようになりました。外向きには問題のないように明るくふるまい、鎧兜のように気丈であろうとするフリをして頑張る。内面が複雑であることはアウトプットできないままパニック状態に陥りやすいのもこのときに培ったものだと思います。そういったことも加味したうえで周りからみたら「本当にがんばる子」だったようです。