チームプレイか...

新しい協会づくりは、右も左もわからないところから。


意志はあるも、

行動がままならず

計画がままならず。


それでもやると決めたからと

猪突猛進するなら

華麗なる事故を起こすだろう。


わからないことをわかったように振る舞うのだけは無しにしたい。


わからないことは

わかる人に聞けばいい。


ただ、聞く人を間違えないようにしよう。


時に自分に痛いことには耳にも痛い

痛みを感じる言葉よりも

甘い言葉をとりたくなるもの


厳しさの中に垣間見る

愛を認識できるようであろう。



できないことは

できる人にお願いしよう。


できないのに関わらず

あたかも出来るように振る舞うのはやめよう。


私がやるのが嫌だからお願いするのだったら

それはお願いされた方もほどほど嫌になる。


できること、できないこと

自分の器を確認することが必要だ。


その上でのお願いなら

人は喜んで引き受けてくれるだろう。


この身体一個が自分だと思うなら

無理難題の宝庫になりそうだけれど


全て自分だと思えるなら

全てをおかさず傷つけず

生かし生かし合うアイデアを出し合って

協力共生できるようになるだろう。


理想を具現化するのは

簡単ではないけれど


簡単でないからこそ

やりがいがある。


生きる選択はチームプレイするかしないかの

選択の道づくりのように感じた。