チームプレイが一番難しい。だからこそのやりがい。

おはようございます。さわゆうです。

今日は24度まで上がる雲なき青空。

清々しいと共に、カラダがやや適応しない状態。半袖か七分袖でもいい塩梅です。


さて、今日はチームプレイが本当に一番難しいこと、だからこそ、やり甲斐が生まれる話をしたいと思います。


そもそもチームプレイって何なんだ


というところからですね。 


チームプレーとは:団体競技などで、個人の名誉や成績を超えて、各人がチーム全体の勝利のために行うプレー。 ⇔  個人プレー「 -に徹する」



そんなの当たり前でしょうというところですが、それがなかなか難しいというところなので、示しておきました。


"各人がチーム全体の勝利のために行う"


とあるけれど、基本的には一人ひとりが、そのチームの意志に沿って、自立独立した実践や能力を発揮をする大前提でないと、全体の勝利に繋がるチームプレイは成立しません。


そもそもそれが、難しいんですね…


私は、今現在もそうですが、合唱やら陸上部のリレーやら、ときには生徒会でなどで、リーダー的な役割をすることが多かったですが、一人ひとりが自分の出来る最大限を持ち寄れるように、サポートすることが難しかった。


ある程度年を重ねれば、自分なりのスタンスが出来て、それが絶対のようなものがありますから、チーム全体の意識にならず、個別の意識にとどまって、チームプレーが始まらないんですね。


一つの何かを創り上げるときには、ある一人のカリスマによって、ある一定の期間、場を持たせることは出来るかもしれませんが、その限界点に達したときには、それぞれに分派をつくるか、個人でやろうと拍車をかけるか、そのようになります。


難しいですね。


こういった人間独自の観点の作られ方について、シャープに論理展開し、個人的な経験、意見、見解をオールゼロ化し、新しいリスタートをかけられ、チームプレーが始まる場の設定を可能にするのがnTechです。


人間の1番難しいところにアプローチをかけるからこそ、新しい成長エンジンの可能性となります。


何というか、人間の新しい時代を創ることにステップにワクワクしたいですね。


お読み頂きありがとうございました。