こんばんは。さわゆうです。
これは昨日の瞳子さんとのやりとりの中で気付かされたことです。
昨日は、私の着こなしが
「一つひとつはいいのだけれど、
一つひとつが主張しているのよね。」
というご指摘がありました。
このことを言っていただいて
ーああ。これは着こなしもそうだけれど、
私の無意識で大事に握りしめている考え方があるかもー
と脳裏にパパッと、いつもやっている
私のワンフレーズが浮かびました。
【みんなが主役!!これが邪魔しているのね】
何をするにしても、
「みんな一緒に」
「一人だけじゃなくて、みんな主役になれるように」
こんな風に思考が働くようになったのは
いつからだろう。
小学校の学芸会の劇の配役決めで悔しい思いをしたからだろうか。
或いは、それで関係性が悪くなっていく様を、嫌だ、と思ったからだろうか。
とかく舞台づくりや、それに相応する場面に遭遇すると、一人にスポットライトが集中するシュチュエーションより、舞台に上がった人たち全員が等しくライトを向けられるようにしたいと思う性分になった。
それで、何を言いたいかというと。
私の着こなし一つにも
そういった“さわゆう哲学”のような
そうでないような考え方が反映されているんですね。
全員が挙って主張する。
一つひとつ、一人ひとりは素敵で
可愛らしく、かっこよくあるはずなのに!
それらがその場で活かしきれずに
何かごちゃっとしてしまう。残念。
子育て失敗ストーリーのよう。
このことを瞳子さんに伝えたら
「なるほど!素敵な気づきじゃない。
ねえねえ?主役は一人でいいのよ。
みんなが主役だったら生かし合うことができないかもしれないね。 役割分担が大事。それで一つひとつの個性が、より一層際立ってくるようになるの。」
その通りですね。頭では十分に理解し
人にもそれを伝達しながら、自分自身の
根深い無意識は今もしっかり作動しているわけで、本当にびっくりです。
しかしながら、
それぞれが一様に主張したら
おもしろいどころか、騒がしくて、それを見る皆さんに感動や気づきを提供することとは
かけ離れてしまいますね。
反省と共に、なんだか
新しい門出を迎えられた心持ちです。
お読みいただいてありがとうございました。