みなさんこんにちは。
観術と音楽をこよなく愛し
美学を実践しようと邁進しております
さわゆうです。
一つ前の投稿の続きで、
『羊と鋼の森』を観て今日の私が気づいたことを連ねてみました。
我が家にも20年以上お世話になっている調律師さんがいます。私はその調律師さんが来るのが楽しみで楽しみでしょうがありませんでした。なぜ楽しみでしょうがなかったというとその方がいらっしゃると
家が和むのです。
私の母はピアノを弾くこともあってか、
非常に生真面目で気性の激しい性質をしておりました。
そのこともあって幼少期から精神疾患を患うようになり、なんやかんやと精神科の先生にお世話になる人生となったわけですが、そんな我が家には母の願いと当時、音高に行きたいと駄々をこねていた私のこともあって中学ときにグランドピアノがやってきました。それ以降、年に一度決まったように調律師のお兄さんが訪れるようになりました。
我が家の調律師さんはMさんと言ってクマさんみたいな方で、非常に温厚な性格をしていらっしゃいました。そして、まるで魔法がかかったように我が家のピアノの響きの狂いを直されていくんです。そして、綺麗にピアノを磨いてくださる。
もうそれだけで私は心が踊るというか
今回の映画ではありませんが、
調律された直後のピアノに触れたときの
喜びというのはなんとも言えない幸福感がありまして、私はピアノはそんに弾かないのですが、それであっても響きによって癒されるというか。それから
母の具合も良くなるような気がしたものでした。
響きを調整することは自ずと場を調整して、
それが心身の調整へと繋がっていくんですね。私は私なりの感覚で、そんなことを確信したのが、この調律師さんとの出会いでした。
思春期で、私も一番荒れていたときに訪問してくださっていたので、私はMさんが来ると、母への不平不満や色々ある感情をMさんに大暴露していました。
私にとっては、病院ではなく、音楽の師や調律師さんが、精神科の先生のような役割だったかもしれません。笑
お読みいただいて
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